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戦国時代はかつて歴史上にないほど情報活動が盛んでした。
「隠密」「忍者」「修験者」等と呼ばれ、雇用主の為政者のために相手方の情報を提供して生計を立てていました。
しかも、彼等の活躍は面白くスリリングな形の講談本や芝居などで後世にも語り継がれましたが、これら「甲賀者」「伊賀者」「雑賀衆」は所詮は”使い捨て”にすぎず、実際には英雄になれず、現在の調査業のルーツに結びつけるには無理があります。
江戸時代に入ってからは、かの著名な「服部半蔵」がいました。
彼は「お庭番」と呼ばれる情報組織の長として旗本格でありましたが、その活動が活発であったのは徳川幕府三代将軍家光の頃までです。
何故なら、それ以降は幕府の安定期に入り、武士達は自らの”魂”とまでいわれた刀すら反り身にしたり、朱鞘にしたりのお洒落にするほど平穏でしたから。
そんな時代に密偵など殆ど必要とされなかったのです。
余談ですが、あの「俳聖」といわれる松尾芭蕉も、以前「実は彼は隠密であったのでは?」と話題になりました。
それは、「奥の細道」に見る通り、俳諧師なのにハードスケジュールの旅程、その距離の長さ、必要以上の緻密なその土地へのウオッチング等々の上に、彼が忍者の里・伊賀上野の出身であったからでしょう。
しかし、当時の時代背景として彼が歩いた東北へ向う地方に、幕府に叛くだけの財力、気力を持つ有力者はいなかったというのが正しいでしょう。
また、ドラマでお馴染みの「水戸黄門」も実際に遠出したのは水戸から鎌倉までにすぎず、”勧善懲悪”の娯楽であって、情報活動には全く関係ありません。
実際には江戸時代の情報管理はいわゆる”お上”が行っていました。
それが皆様よくご存知の幕府直轄地に於ける「奉行所」であり、「代官所」でした。
これら幕府の出先機関は犯罪の摘発や審判を行っていましたが、実際には足を棒にして捜査や情報蒐集に歩くということはまずなかったのです。
奉行所の数少ない役人の与力や同心も大半がマンネリ化した机上仕事のサラリーマンで、藤田まことが演じた普段の「中村主水」がその姿です。
ではこの時代、誰が捜査や情報蒐集を行っていたかというと、それは犯罪に関しては「岡っ引き」「下っ引き」と呼ばれる人々でした。
岡っ引きの方は仕事にかかわる実費程度を上司の同心を経て支給されましたが、その岡っ引きのアシスタントの下っ引きは全くの無報酬でした。
そのため、彼等は職権濫用で「袖の下」「賄賂」「ゆすり」「たかり」の常習犯として、善良な市民から嫌われていました。つまり、銭形平次のような”清く正しく”といった人は余りいなかった、ということです。
それでも、江戸を中心に平穏に推移した時代が続いたのは、確立された官僚制度にあります。その制度は強い罰則と威厳があり、町々村々には必ず「大家」と「名主」があって、これらの人々が自らのテリトリーをとりしきり、管理監視していました。
しかも、この時代はマンモス都市の江戸ですら人口約100万人、日本全国の人口もわずか4000万人程度でしたから、特に専門調査業は生じなかったのです。
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